土曜の朝、遅めの起床
前日の飲み会での酒がまだ少し残っているような...。
何処か自転車散歩へ行こうと思うが目的地が浮かばない、漠然と平泉へ行ってみようとランドナーを車に積み込み東北自動車道を北へ走らせた。
平泉とその周辺には、国宝「中尊寺金色堂」や特別名勝「毛越寺庭園」・・・etcなど平安時代末期に奥州藤原氏が築いた仏教寺院、庭園などを中心に「平泉の文化遺産」の世界遺産登録を目指しています。
その他にも、坂上田村麻呂の東征や前九年の役にまつわる史跡が残っており興味深い所です。
12時一関インターへ到着し、国道沿いの選択ミスの中華やさんで昼食をとり12時30分 国道342を秋田方面へ向けて走り出す。
途中 一関博物館に立ち寄ってみる
展示の内容は薄く感じたが、ここで行ってみたいところを確認してみる
もともと家を出る時には 「達谷窟堂」へ行ってみる事しか決めてなかったのです。
磐井川沿いの道が気持ちいい
緩やかな上り坂を走り 本寺地区へ向かう
「骨寺村荘園遺跡」
本寺川に架かる要害橋から 骨寺村荘園 そして遠く栗駒山を眺める
今から950年前の平安時代中頃、奥州では前九年、後三年という二つの大きな合戦がありました。この争いに巻き込まれ悲惨な運命に接した藤原清衡は、11世紀末に拠点を平泉に定め、浄土思想に基づいた平和な都市の建設に取り掛かりました。そして度重なる戦で命を落とした敵味方すべての人々の霊を慰め、弔うために中尊寺の建立を始めたのです。約100年にわたる黄金文化、平泉の歴史はここから始まります。
清衡は、自らの発願による『紺紙金銀字交書一切経』(約5300巻)を8年かけて完成させた自じ在房蓮光を、その経巻を納める経蔵の初代別当に任命しました。この時、蓮光が私領であった骨寺村を経蔵に寄進したところ、改めて清衡から経蔵の維持費用を賄う土地、「荘園」として与えられたのです(1126年)。これが中尊寺経蔵別当領「骨寺村」の始まりで、15世紀の室町時代まで維持されていきます。(一関市ホームぺージより)
此処では14世紀に書かれた骨寺村荘園の絵図が残されており、その絵図に基づき遺跡の発掘作業が行われている様です。
駒形根神社
神社前に並ぶ古碑は 「馬頭観音」「馬歴神」「雷神」「山神供養塔」...など、来る途中にも目に付いたのが雷神碑と馬歴神碑
地域の人に聞いてみると この地区は雷が多いとの事、また 8-9世紀 征夷大将軍坂上田村麻呂による東征の際 戦での馬の霊をこの神社に祀ったという言い伝えもあるそうです。
駒形神社から見る 骨寺村荘園
此処から 衣川へハンドルを向ける
つづく
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