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平泉周辺 史跡巡り2

1より続き


骨寺村荘園を後にし衣川に向けて走り出す




道端では畦道の草刈り作業を彼方此方でやってます
田んぼの中の塚が気になって作業中の方に聞いてみる・・・すると「あぁ、あれはあの大きな屋根の家のお墓です」とのこと


古代からの産土信仰の名残なのでしょうか...?



「安倍館跡」







上の写真 バックの小高い山が
安倍 忠頼.忠良.頼時 三代に渡り居城とした場所です

1056年(それ以前から朝廷への租税に纏わる諍いがありましたが) 阿久利川での諍いを元にこの先の衣川の関を閉ざした事から前九年の役が始まったとされています

また、源軍が安倍館をせめる時、南股川を隔てた対岸の八幡神社に陣を構えたと言われています。
(下の写真の赤い鳥居が その八幡神社だと思います)


※見た順番に載せていますので時代が前後しますが、何れ平泉周辺でおこった事であると言う事でご勘弁を...。





午後からの走り出しで 時間が押しています
元もと「達谷窟堂」を見てみたいと思い立って来たのですが16時になっています

少し急ぎながら走っていると・・・

由来は分かりませんが「巨石」です
後で調べてみます。



「達谷窟毘沙門堂」







縁起より

およそ1200年の昔、悪路王・赤頭・高丸らの蝦夷がこの窟に城塞を構え、良民を苦しめ女子供を掠める等乱暴な振る舞いが多く、国府もこれを抑える事が出来なくなった。
 そこで人皇五十代桓武天皇は、坂上田村麿公を征夷大将軍に命じ蝦夷征伐の勅を下された。対する悪路王等は達谷窟より三千余の賊徒を率い駿河国清美関まで進んだが、大将軍が京を発するの報を聞くと、武威を恐れ窟に引き返し守りを固めた。
 延暦20年(801年) 大将軍は窟に籠もる蝦夷を激戦の末うち破り、悪路王・赤頭・高丸の首を刎ね、ついに蝦夷を平定した。大将軍は、戦勝は毘沙門天の御加護と感じ、その御礼に京の清水の舞台を模して九間四面の精舎を建て、百八躰の毘沙門天を祀り、国を鎮める祈願所として窟毘沙門堂(別名を窟堂)と名付けた。
 翌延暦二十一年(802年)には、別当寺として達谷西光寺を創建し、奥真上人を開基として東西三十余里、南北二十余里の広大な寺領を定めた。
 降って前九年後三年の役の折には、源頼義公・義家公が戦勝祈願の為寺領を寄進し、奥州藤原氏初代清衡公・二代基衡公は七堂伽藍を建立したと伝えられる。
 文治五年(1189年)源頼朝公が奥州合戦の帰路、毘沙門堂を参詣され、その模様が「吾妻鏡」に記されている。
 中世には七郡の太守葛西家の尊崇厚く、延徳二年(1490年)の大火で消失するが、直ちに再建された。
 戦国時代には東山の長坂家より別当が赴き、多くの衆徒を擁したが、天正の兵火に罹り、岩に護られた毘沙門堂を除き、堂塔悉く消失した。
 慶長二十年(1615年)伊達政宗公により毘沙門堂は立て直され、爾来伊達家の祈願寺として寺領を寄進されていた。


・・・と言う事だが、前半分は作為を感じるなぁ...。

今日はさらっと見に来ただけなので 帰宅して考えてみる事にする。


車をデポした一関インターまで走りながら...半日の自転車散歩では足りないなぁ~と下っていく






翌日につづく...。
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18Comments

河っち  

No title

カーサイも便利で、自転車の楽しみ方の一つですネ!うらやましいなぁ。
河っちは車持ったことないんです。バイクばっか。都内では駐車場代高いし、移動は自転車の方が早いかも~。
で、やっぱり車はレンタカーでしょうネ。

2009/07/13 (Mon) 23:32 | EDIT | REPLY |   

syokora  

No title

平泉は私も一度行きたいところです。
藤原三代の栄華、源氏ゆかりの史跡などゆっくりと見て回りたいものです。
一度学生時代に信州合宿ののち東北地方をツーリングする計画を立てていたのですが、信州合宿で転倒、大けがをして断念したことがありました。時間ができればぜひ行ってみたいですね。

2009/07/14 (Tue) 10:32 | EDIT | REPLY |   

コルサ  

No title

>・・・と言う事だが、前半分は作為を感じるなぁ...。
朝廷による蝦夷征伐を正当化する為の・・・ということでしょうか?

達谷窟毘沙門堂」は興味深いですね。
歴史、由来はもちろん、まわりの地形、建物の構造・・・
階段を登って建物の内部には入れるのでしょうか?

2009/07/14 (Tue) 17:58 | EDIT | REPLY |   

サトシ  

No title

いろいろと素敵なコースがあっていいですね。
こういうところをノンビリと走ってみたいです。
高速1000円のうちに東北まで遠征っていうのもいいかもです。
といいつつ今週末は釣りで岩手遠征です(^_^)v

2009/07/14 (Tue) 18:16 | EDIT | REPLY |   

おんちゃん  

No title

田んぼの中の墓は南郷(現美里町)以北によくみられますし,山形や秋田,岩手の寒村にも見られます。たぶん昔は名主の屋敷墓だったんでしょう。それが戦前の食糧増産の田畑開墾や戦後の農地解放による土地の没収や一家の没落などの理由で田畑の中に残されたものと推察できます。
で,墓石をよく見ると「個人墓」が多いですし,戒名も…なのです。
明治維新から度重なる戦争によって墓が増え,戦後の「一家墓」流行で金のある家は墓地改装を行いましたね。
この続きは…いつか飲みながらでも。。。。
あっ,仙台の七郷地区にもいくつか残っていたような。。。。不確かですが。。。。

2009/07/14 (Tue) 20:19 | EDIT | REPLY |   

kan*a_*4*  

No title

「河っち」さん おばんです
田舎はタバコを買いに行くにも車で行くのが普通ですよ。
自転車には輪行という魔法の絨毯があります・・・私はどちらか安上がりな方を選んでしますよ v(^^)。

2009/07/14 (Tue) 22:22 | EDIT | REPLY |   

east_bred  

No title

土曜日に一関を走られていたんですネ。
私は日曜日の夕方にやっと一関入り出来、真っ直ぐジャズ喫茶へ行ってそこを出て夕飯を食べて直ぐに高速に乗ってしまいました。
時間が有ったら平泉にも行きたいねと話していたのですがとっても無理でした。
高速千円のうちにもう一度行ってみたい所です。

2009/07/14 (Tue) 22:41 | EDIT | REPLY |   

kan*a_*4*  

No title

「syokora」さん おばんです
平泉は学生の頃より 年齢をかさねた今こそ楽しめるような気がします。
私の場合、若い頃は走る事だけで その場所の背景などを楽しむ事が出来ませんでした。

機会があったら 是非お出で下さいませ...御案内しますよ。

2009/07/14 (Tue) 22:54 | EDIT | REPLY |   

たんぽぽ  

No title

平泉いいですね
一度行って見たいと思っていますが
出来ないのが本音です。・・・・いいな~。

2009/07/14 (Tue) 23:13 | EDIT | REPLY |   

TY-Silk  

No title

平泉の探索、確かに相当時間かけないと回りきれない史跡がありそうですね!。
田んぼの中のお墓は私の自転車通勤路にもありまして、残業して帰る時にはその付近でケイデンスがアップします(^^;)。
お墓=裏山のイメージでしたので、見通しの良い田園地帯にある墓地は不思議な感じでした。

2009/07/15 (Wed) 00:11 | EDIT | REPLY |   

kan*a_*4*  

No title

「コルサ」さん おはようございます
「朝廷による蝦夷征伐を正当化する為の・・・ということでしょうか?」・・・そうです。
伊治公呰麻呂の乱 以後38年続いたとされる蝦夷との戦いで坂上田村麻呂とアテルイ.モレとの部分の詳細は文献として残っていないはずだからです。

達谷毘堂の中へは入れます。暗くてよく見えませんでしたが、毘沙門像のような物が何体か見えました。
何れ 学習してまた何度か行きたいところですv(^^)

2009/07/15 (Wed) 07:37 | EDIT | REPLY |   

kan*a_*4*  

No title

「サトシ」さん おはようございます
知識があれば もっと楽しめるはずなのですがそれを持っていないのが辛いところです。

岩手はどの辺の川へ...?
岩手は山が深いので良い釣り場が沢山ありますよ~。

2009/07/15 (Wed) 07:44 | EDIT | REPLY |   

kan*a_*4*  

No title

「おんちゃん」さん おはようございます
なるぼど 七郷辺りにもあるのですか・・・都市開発で大分変わってしまったので残っているでしょうか毎日通場所ですので気にしてみますね。

今度お会いする時に 是非ご教示願います。

2009/07/15 (Wed) 07:54 | EDIT | REPLY |   

kan*a_*4*  

No title

「east_bred」さん おはようございます
実は前日車中泊して日曜日も一関周辺を走り回っていました。
一関インターに止めた車に戻ったのが15時過ぎでしたので どこかですれ違っていたりして...笑

2009/07/15 (Wed) 07:59 | EDIT | REPLY |   

kan*a_*4*  

No title

「kinomi」さん おはようございます
「一度行って見たいと思っていますが
出来ないのが本音です。・・・・いいな~。」・・・ってまさか自転車で往復するつもりじゃ...kinomiさんならサラッとやってしまいそうですが(笑)

高速代\1000のうちに行ってみました~v(^^)

2009/07/15 (Wed) 08:04 | EDIT | REPLY |   

kan*a_*4*  

No title

「TY-Silk」さん おはようございます
史跡の数もそうなのですが・・・相当時間が掛かるのはそれの学習の方で...。


「田んぼの中のお墓」栃木にもあるのですか?
私は初めて見たので不思議な感じを受けました・・・どういう背景があるのが知りたいですねぇ。今度おんちゃんさんにお会いした時聞いてみたいです。

2009/07/15 (Wed) 08:11 | EDIT | REPLY |   

M.ROSSO  

No title

私も、達谷窟毘沙門堂の縁起は勝った者の歴史となって東北人の歴史ではないように思います。
まっ!勝てば官軍。いつの時代も同じなんですね・・・

2009/07/15 (Wed) 11:24 | EDIT | REPLY |   

kan*a_*4*  

No title

「M.ROSSO」さん おばんです
その時代の地形が現在と大きく変わっていないと思います。
最終的にであれば分かりますが、最初からアテルイが戦った時に達谷窟堂に立てこもる事は考えられませんね。

坂上田村麻呂は蝦夷との戦いで勝利した後、蝦夷地を統制するためにアテルイの命を助けるよう朝廷に進言しましたが、朝廷はアテルイを恐れ即刻 首をはねるよう指示したと言われています。

アテルイ、安部一族、藤原三代。伊達政宗と東北の地は顴骨精神を養うのでしょうかねぇ。

2009/07/15 (Wed) 19:25 | EDIT | REPLY |   

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