その2 より続き
岩手まで来て 半日自転車で走っただけでは勿体ないので車中泊した。
出て来る時に、気が向いたら泊まろうと一応着替えとシュラフを持参してきたのである。
朝 7:30 すき屋で「玉子かけご飯」を食べ出発
朝の空気感で今日は暑くなる事を予感しながらペダルを踏み出す
「白鳥舘遺跡」
一関から自転車を走らせ奥州市前沢まで10km
箱石橋から白鳥舘を望む
蛇行した北上川の左 小高い山が前九年の役の際、源頼義と戦った安倍頼時の八男 安倍則任(行任)の居城です。
下の写真は 北上川を挟んで対岸側の様子・・・要害です
安部一族は その名を地名で呼んでいたようで、因みに安倍貞任は厨川次郎。
前沢は この時代白鳥村と言われていたようで、則任(行任)は白鳥八郎 居城は白鳥舘だったようです。
前九年の役の記述に則任の話しは殆ど出てきませんが、何故か私の住む宮城県南部の彼方此方に則任に因む伝説が残っています。
則任は 「頼義軍に敗れ 捕虜となって都へ護送される際、敵のすきを見て自ら岩に頭を打ち付け自害し、それを聞いた妻が子供を抱きかかえ夫の後を追って北上川へ身を投げた」という伝説があります。
此処から 千厩町-川崎村へ向かいます
一関市舞川へ抜ける「東岳峠」 真っ直ぐな上り坂で萎えました
峠を下だれば 陸前高田-一関を結ぶ 旧今泉街道へと出る
東山町松川から千厩町へ向かう
枯木峠までは何度もピークか思う箇所がありもっと萎える
千厩へ下る途中 「重箱石」という巨石・・・後で調べてみます
千厩から川崎へ抜ける旧気仙沼街道 三島峠
何故かコスモスがきれいに咲いている・・・久しぶりの峠越えで足はすっかり売り切れ状態です
道の駅かわさき でかき氷を食べ体を冷やす・・・頭いで
安倍頼時が鳥海の柵で討ち死した後、源頼義と安倍貞任がこの川崎の柵(黄海)で戦い 源軍は大敗を喫し秋田の清原氏へ援軍の要請を強めたと言われています。
妄想ですが この戦いで貞任が頼義を討っていれば時代がどう変わったのでしょうか?そう言う機会があった戦いだったように思います。
北上川沿いの道を一関の向かって帰ります
もうアップもダウンもありません ただただ平らな道を今にも攣りそうな足を回します
15時過ぎに一関インター到着
自転車を車に積込み帰路に着く
一関で直利庵のそばを食べて帰るつもりでしたが お店が休みだったので、宮城県鶴巣インターで「納豆そば\360」を食べて帰りました~
おもせがったぁ~
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